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NO. 1 4 6 ヘンリー ・ ビショップ氏没 4 / 2 9埴生の宿(はにゅうのやど)作曲

私、水島は 上等兵としてビルマ戦線にいる( 現 ミヤンマー )。時は 第二次世界大戦 S.2 0 ( 1 9 4 5 ) 7月。 井上隊長率いる小隊だ。戦況は悪化の一途をたどっているようだ。

戦火を避けて南方向 タイ国境へと向かっていたが、敵軍と出会い にらみ合いが続く中、敵を油断させるため「 埴生の宿 」を合唱したが なんと 敵軍からも 英語であるがおなじ「 埴生の宿 」を歌い始めたのだ。 

まさに こうして対峙しているとき 我が国が敗戦を受け入れたとの知らせが入った。我ら井上小隊も 武器を捨て 投降した。

南方へ移行される途中 私( 水島 )は無数の兵士の死骸が放置されているのを 目の当たりにし、日本へ帰らず この地で御霊を

弔いたいとの思いが心の底から湧き起こるのを 抑える事が出来ない。 大切な命が 他国で 野ざらしになっているのをみすごすことなど とうていできない。何年かかろうとも 最後の一体まで供養しようと 固く誓った。

隊を離れる事が出来た私は 僧侶になり 巡礼の旅にでた。

井上隊長が 私に渡すよう 村民に託したオウムを受け取ると、そのオウムは「 ミズシマ イッショニ ニッポンヘ カエロウ 」と 言い続け 言葉のナイフは私の胸を深くえぐるのであった。しかし 私は「 帰らない 」 いや 「 帰れない 」。

井上隊が 明日 日本へ帰るという日 収容所の柵越しに 永遠 (

とわ)の別れの言葉を交わしたかったが、私の喉は 言葉を発しない。 かわりに ビルマの竪琴で「 仰げば尊し 」を弾き、背を向けた。背中の向こうで「 水島 一緒に日本へ帰ろう 」と 叫んでいる、みんなが泣き叫んでいている。

しかし 私には 涙がでなかった。

井上隊長が送ってきたオウムを残して 私は 永遠になるであろう巡礼の道 密林へと 再び 歩みだした。

残したオウムは こう言った「 アア ヤッパリ ジブンワ カエルワケニワ イカナイ 」 と。  

終。

このブログを書いている私( ぎやまん亭 )が 泣いています。

「 ビルマの竪琴 」

日活映画  S.3 1( 1 9 5 6 ) 

原作   竹山 道雄 氏

監督   市川 崑 氏

配役   安井 昌二 氏 ( 水島上等兵 )

     三国 連太郎 氏( 井上隊長 )

== 写真 二枚 ==

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